花人生アメリカ

思いついたら。時々更新
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    ニューヨークで9月11日2001
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       この日私と主人は花のマーケットから店に帰るときでした。
      6番街の道の真ん中で人々がトレードセンターを見上げていました。
      黒い煙が出ていました。 私は火事かと思ったのです。
      店に帰るとビルの人たちが大騒ぎでした。 トレードセンターに飛行機が
      突っ込んだと! もうビックリしました。 いろいろな情報が入り交通が
      全部ストップとの事 橋も閉鎖されるかもしれないと、私達は直ぐに店を
      閉め家に帰ることにしました。橋も道路も家路に急ぐ人でいっぱいでした。
      とても怖いのと誰も助けて上げれない、本当につらかったです。
      2,3年前に私は人からアル。カーイダがWTCへ飛行機を突っ込むと
      言っていると聞いていたのですが誰もそんなこと信じていません出した。
      この時私は人生観が変わりました。 今大事なことをやろうと思ったのです。 其れは日本の母のもとへ帰ることでした。
      それから5年掛りましたが母のもとへ帰ってくることが出来ました。



      | - | 11:13 | comments(0) | - |
      花人生アメリカ
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        私は1969年5月18日伊丹空港からフロリダ州のFort LauderdaleにあるBurning the (花屋)に勤めた。
        飛行機代は片道19万円でした。母にローンを組んでもらっって行ったのです。母の苦労など考えずにルンルンで旅立ちました。花屋での私の給料は時給で1ドル30セントでした。
        これでは生活が出来ないので、マネージャーのはからいで、私だけ週6日働きました。他の従業員は週5日でした。
        週6日間働くと1日分は1.5倍払って貰えました。アメリカの豊かさにはビックリしました。 広々とした部屋、道路、そして物がとても豊富でした。
        日本食料品店も有りました。 生活はとても充実していました。
        兼高かおるさんに憧れて 母に背中を押してもらい母の苦労など考えず夢いっぱいで アメリカに渡りました。 母は言いました。 日本人として恥を
        書かないように 又人に迷惑を掛けないようにしなさいと。
        私は母との約束は守って来ました。 フロリダで2年半働いてニューヨーク
        へ移りました。 ニューヨークのFallen(花屋)で8年働きそして独立しました。
        28年間Flowers By Akemi Inc.を自営しました。
        そして2006年10月5日に37年ぶりに日本の母のもとに永久に帰って来ました。これからは時々ブログにのせたいと思いますので宜しくお願いします。
        | - | 16:33 | - | - |
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